何故お墓参りをするのでしょうか (160901)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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親を亡くした人に、「あなたの親や祖先は、今どこにいるのでし
ょうか?」と尋ねると、「天国にいます」とか、「あの世にいま
す」とか答えるであろう。中には、「墓の中にいます」とか、
「どこにもいませんよ」などと憮然とする人もいる。

はたしてそうした答えの通りであろうか。では天国とは? あの
世とは? などと問いつめてゆくと、はたして満足な答えが得ら
れるのであろうか? 大変難しいようだ。

では親祖先ははたしてどこにいるのか? その答えは実ははっき
りしている。「親祖先は自分自身の中にいる」

たとえ親祖先の肉体は今はなくなっているとしても、第一、生物
学的にみると親祖先の血はまさしく自分自身の中に流れている。
私たちの肉体を構成している細胞それ自体がすでに親祖先のもの
である。父そのもの母そのものと全く同じではないにしても、こ
の私の身体の中にすでに父母があり、そして祖先があるのである。
これは科学的にも否定し去ることはできない事実である。

第二は、その自覚である。つまり親祖先は自分の自覚によって自
分の中〈肉体〉にあるということである。

〈私は○○の子孫である〉と自覚すると、たとえ血縁はなくても、
そのつながりが明確に存在するようになる。養子縁組や結婚によ
ってその家に入るというような場合、○○の家に入ったとか、○
○を親とするとかいった自覚がはっきりするならば、親祖先の生
命というか、魂というか、そういうものが自分自身に入りこんで
くる。

自覚とは簡単にいうと、要はハッキリと、シッカリとそう思い込
むことだ。〈朝○時に起きる〉とハッキリと思い込むと、目覚ま
し時計をかけ忘れてもそのように起きられる。

血縁によるつながりを軽蔑したり、無視したりするのでは決して
ない。たとえ血縁が薄かったり、無い場合でも、自覚によって新
たに親祖先のつながりができるし、それが現実に生きたものとな
ることを再認識せよと言っているのである。

自覚とは生命の自覚である。魂の自覚といってもよい。「生みの
親より育ての親」といった表現の中には、この自覚による親の存
在がいかに尊いものであるか明瞭に示されている。

このように、あるいはその血の流れの中によって、さらにその自
覚によって、親祖先は自分自身の中にある。墓参して位碑を拝む
ことなどは、自分自身の中にあるその親祖先をよみがえらせるよ
すがであり、手立てである。

もともと墓という石や木の位牌の中には何もないではないか。墓
を拝むとは、墓をシンボルとして親祖先を拝むことであり、それ
は結局自分自身の中にある親祖先を尊ぶことに他ならない。親祖
先を尊ぼうとすれば自分を尊ばねばならない。勿論、偉そうに尊
大に構えるのではない。己の存在の意義を高めるとは、同時に親
祖先の存在の意義を高めることになる。親孝行の本質はそこにあ
る。

祖先崇拝の根本は、自分自身の天職を尊び、その仕事に打ち込み、
その心を他の人々に押し及ぼして、人を敬し、愛するところに帰
結する。自分の中に親祖先が生きているからである。(『丸山竹
秋選集』より)
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何故、お墓参りをするのでしょうか。一つに先祖とのつながりを
自覚する。という目的があると思います。自覚によって今の自分
に目覚めるのですね。

今日も、自分の仕事に自覚をもって取り組んでいきましょう。


 

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