誰もが自分の人生に責任を持つ経営者 (161104)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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「経営」という言葉は、何を意味するのであろうか。辞書による
と「規模を定め、基礎を立てて物事を営むこと。工夫をこらして
物事を営むこと」と説明してある。これらの意味によると、社長
や重役たちだけが経営者というのは、おかしなことである。なぜ
なら、平社員だって、それぞれの受持ちの分野で、規模を定め、
基礎を立てて物事を営んでいるからである。

社長は経営者である。しかし電話の交換手もエレベーター嬢も経
営者である。電話の具合について、その取り扱いについて、自分
の関係する範囲において、それなりの仕事の組み立てをして仕事
をする。受付の仕事にしても同じだ。受付とは玄関口であり、最
も難しく、そこでの工夫や配慮などはかなり深く必要とされる。
その意味からも受付嬢は経営者である。

使用主あるいは使用人とかいった考え方がある。「自分は人を使
っているのだ。そして使用している者に、その働きに応じて金を
払ってやっている。自分は経営者なのだ」といった考えである。

しかしこれは「使っている」という考えに間違いがある。使われ
ている者の方から見れば、そこで働いてやっているからこそ、そ
の仕事が成り立つのであって、その意味からは使用人が使用主を
使っているということになる。使用人が一人もいなくなれば、使
用主は悲鳴をあげつつ、その仕事を辞めざるをえない。

このようにみてくると、いわゆる労働者という概念も問題になっ
てくる。社長も部課長も労働をしているのであり、なにも一般社
員だけが労働をやっているのではない。精神労働という範囲では、
責任が重くなるにしたがって、労働の内容も重くなるのが普通で
あり、その意味からは社長は最も大きな労働をしているというこ
とになる。

働きという仕事の本質からみると、すべてが経営者、すべてが労
働者であり、それぞれの分野において仕事に勤しむべきものであ
り、経営者と一般社員との対立敵視などという問題は、根本的に
あるべきものではないのである。

それでは一般の社員と社長と、どこが違うかというと、責任の重
さと広さが違うといってもよい。

エレベーター係は、エレベーターのことに責任があるのであり、
受付のことにはない。しかし社長は全体として、責任を問われる
ことになる。エレベーター係のミスは、同時に管理課長の責任で
もあり、社長の責任でもある。だから社長は部外者に対して「エ
レベーターのことで、ご迷惑をおかけしまして、どうもすみませ
ん」と詫びなければならぬこともある。

部長は部長として、部全体のことについて責任がある。社長は全
体についてあるというわけである。

指揮とか掌握とか、そうしたことについては、もはや言う必要は
ない。主とか長とかいうのは、そうした責任とか指揮とか掌握と
かのありかたを示すものなのである。

しかしながら、ここでいわゆる経営という面については、すべて
の人がそれに携わっているという根本を見失ってはならないので
ある。(新世書房刊『?栄の法則』より)
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誰もが自分の人生に責任を持つ経営者であることは間違いありま
せん。死ぬときにその人の人生が決算書(貸借対照表)として明
らかになるのです。


 

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