気概と責任をもって進む(110620)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より紹介します。
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「もしドラ」の呼び名で親しまれている書籍『もし高校野球の女
子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の
ベストセラーと同時に、再び注目されるようになってきたのがピ
ーター・ドラッカーです。

「マネジメントの父」とも呼ばれ、経営学の第一人者でもある氏
が、経営の〈社会的責任〉について論じた歴史的人物評の中で、
「かの偉大な明治を築いた偉大な人物」として渋沢栄一を挙げて
います。

渋沢は、現在の東京証券取引所をはじめ、日本初の洋紙製造会社
である抄紙会社(後の王子製紙、十條製紙、本州製紙)や東京海
上保険(後の東京海上火災保険)、鉄道会社(のちのJR各社)、
大日本麦酒(後のアサヒビール、サッポロビール)、帝国ホテル、
帝国劇場などの設立に関与しました。

その渋沢が努めて世に訴えたのが「道徳経済合一論」でした。富
の獲得を悪事と決め込む世の中の見方に、渋沢はきっぱりと異を
唱え続けました。

ソロバンを手にして富を得るのは少しも悪いことではない。しか
しソロバンの基礎を仁義(道徳)の上に置くべきである。そうすれ
ば道徳と経済が合致すると唱えたのでした。

しかし明治という時代においては、道徳と経済とが合一し、私利
と公益が一致するという主張に対して、「それは理想論で現実離
れした空想である」との批判が絶えませんでした。しかし渋沢は
いかなる攻撃を受けながらも、主張を取り下げることはありませ
んでした。そうした渋沢の生き方や考え方を支えてきたのが、中
国の古典『論語』だったのです。

大蔵省を辞し、企業経営者として活動を始めてから、渋沢は「ま
ず第一に必要なるものは人である」「人をして拠らしむるに足る
規矩準縄が必要だ」ということを悟ります。そして人が拠りどこ
ろとすべき規範を探し求めた結果、辿りついたのが少年期から親
しんできた『論語』だったのです。

実業家として活躍する一方、渋沢は揺るぎない意志で「論語と算
盤は一致すべし」と主張し続けました。それに対して「渋沢氏の
道徳的説教は、資本家の利益を擁護する欺瞞に満ちたものだ」と
攻撃する人もいました。それでも渋沢は主張を曲げませんでした。

先述のような各分野の産業の設立に尽力し、日本国内に近代資本
主義の基礎を築いていったのです。

直接的間接的なものも含めて、設立に関与した企業数はおよそ五
〇〇。また福祉事業に関しては六〇〇はあったと推定されていま
す。大正五年に喜寿を迎えたのを機に、財界との一切の関係を経
った後でも、渋沢は社会事業の推進に力を注ぎ続けました。

昭和恐慌の荒波の渦中にあった昭和五年には、九〇歳を超えてい
ながらも救癩事業に関して積極的に篤志家から寄付を求め、予防
機関を設立する運動を始めます。終生にわたって社会の発展に渋
沢は尽力し続けました。
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気概と責任をもって進んでいきましょう。

 

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