人生は正味30年 (12 0715)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

森信三(哲学者)氏の書は、未だに読み継がれています。僕が森
信三著に出会ったのは、10年前です。研修の必須文献になって
いたのがきっかけです。

『修身教授録』という本がありますが、学校の教員になる人の必
読本にしてもいいような名著です。何度も何度も読みながら人と
しての生き方を教えてくれた本です。

致知のメール配信で送られたきた『修身教授録』からの一節です。
「人生は正味30年」そういう年代にきたと思うと、人生あっと
いう間です。

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人生の味わいは深いのです。人生の味わいが限りもなく深いとい
うことは、同時にまたその味わいが、限りもなく複雑だというこ
とでもあります。

もちろん人生は、これを外側から見れば、きわめて単純なものと
も言えましょう。

つまり生まれて、食って寝て大きくなって、そして結婚して人の
子の親となり、最後は年をとって死ぬ――

これをもっと簡単に言えば、結局人間は生まれてそして死ぬ――
という、ただそれだけのことだとも言えましょう。

実際、人生と言うてみたところで、つまるところ、この「生まれ
て死ぬ」という「生から死へ」の間にすぎぬとも言えるのです。

したがってまた偉人と凡人の差も、結局はこの生から死への間を、
いかなる心がけで過ごすかという、その差に外ならぬとも言えま
しょう。

それにしても私が、この人生に対して、多少とも信念らしいもの
を持ち出したのは、大体35歳辺からのことでありまして、それ
が多少はっきりしてきたのは、やはり40を1つ2つ越してから
のことであります。

ですから、もし多少とも人生に対する自覚が兆し出してから、3
0年生きられるということになりますと、どうしても65、6か
ら70前後にはなるわけです。

もし今年から30年ということになると、73歳になるわけで、
そうなるとまず肉体的生命の方が先に参ってしまいそうです。

このように考えて来ますと、人間も真に充実した30年が生きら
れたら、実に無上の幸福と言ってもよいでしょう。否、私の現在
の気持ちから申せば、それはずい分ぜいたくな望みとさえ思われ
るのです。

このように人間の一生は、相当長く見積ってみても、まず70歳
前後というところでしょうが、しかしその人の真に活動する正味
ということになると、先にのべたように、まず30年そこそこの
ものと思わねばならぬでしょう。

一口に30年と言えば短いようですが、しかし30年たつと、現
在青年の諸君たちも50近い年頃になる。その頃になると、諸君
らの長女は、もうお嫁入りの年頃になるわけです。

道元禅師は「某は坐禅を30年余りしたにすぎない」と言うてお
られますが、これは考えてみれば、実に大した言葉だと思うので
す。

本当に人生を生き抜くこと30年に及ぶということは、人間とし
て実に大したことと言ってよいのです。

そこで諸君たちも、この2度とない一生を、真に人生の意義に徹
して生きるということになると、その正味は一応まず、30年そ
こそこと考えてよいかと思うのです。

ついでですが、私は、このように、人生そのものについて考える
ことが、私にとっては、ある意味では、自分の使命の一つではな
いかと時々考えるのです。

ただ漠然と「人間の一生」だの「生涯」だのと言っていると、茫
然としてとらえがたいのです。

いわんや単に「人生は――」などと言っているのでは、まったく
手の着けどころがないとも言えましょう。

そうしている間にも、歳月は刻々に流れ去るのです。しかるに今
「人生の正味30年」と考えるとなると、それはいわば人生とい
う大魚を、頭と尾とで押さえるようなものです。

魚を捕えるにも、頭と尾とを押さえるのが、一番確かな捕え方で
あるように、人生もその正味はまず30年として、その首・尾を
押さえるのは、人生に対する1つの秘訣と言ってもよいかと思う
のです。
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深いですね。さあ、今日も人生の一日。有意義に過ごしましょう。

 

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