自分を成長させるためには心を磨いていかなければならない(121111)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

「失明を乗り越え、初の金メダルへ」浦田理恵(ゴールボール女
子日本代表)『致知』2012年12月号より

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私の場合は徐々に徐々に、じゃなくて、20歳の頃にガクンと来
たんですね。左の目が急に見えなくなって、すぐに右の目、とス
ピードが早かった。

小学校の先生になるための専門学校に通っていた時で、卒業を間
近に控えた3か月前の出来事でした。これまでできていたことが
できなくなるのが本当に怖かったです。

1年半くらいは一人暮らしのアパートから出られず、両親にも友
達にも打ち明けられないままでした。目が見えなくなってきたこ
とが、最初は受け入れられませんでした。

もう本当に凄くきつくて、お先真っ暗で、見えないのなら何もで
きないし、できないんだったら別に自分がいる意味なんてないと
考えたりもしました。

22歳のお正月の頃、もう自分ではどうにも抱えきれなくなって
、 このまま死んでしまうぐらいなら親に言おうと思ったんです。

その決心がようやくできて、福岡から久しぶりに熊本へ帰りまし
た。熊本へは電車で帰ったのですが、全く見えないわけではない
ので、こう行けばそこに改札があったなといった記憶も辿りなが
ら、駅のホームに降りて、改札口のほうへ向かいました。

すると、すでに母が迎えに来てくれていたようで、「はよこっち
おいで。何、てれてれ歩きよると?」と声がしました。

あぁ、お母さんや、と思って改札のほうへ向かったんですが、母
の声はするんですけど、顔が全然見えなくって・・・。

その時に、あぁ、私、親の顔を見たのはいつやったかな、親の顔
も見えなくなったんだということで、自分の目がもう見えなくな
ったことを凄く痛感させられた。

改札のほうへも、さっさとは歩けないのでちょっとずつ歩いたの
ですが、母は私がふざけていると思ったそうです。改札をやっと
通り抜けて母の元へ行き、「私・・、お母さんの顔も見えんくな
ったんよね・・」と言ったら、母は「ほーら、また冗談言って。
これ何本?」って指を出されたんですが、その数も全然分からな
くて、母の手を触って確認しようとした。その瞬間、母はもう本
当に、改札の真ん前だったんですけど、ワーッとメチャクチャに
泣き崩れて・・。

それを見てる私も、自分は何をやってるんだろう、とやるせない
気持ちになったんですが、でもこれまでずっと自分一人で抱えて
きたものを伝えられたと、肩の荷がちょっと下りた気持ちでした。

それと、親がしばらくして「何か自分ができることを探さんとね」
と声を掛けてくれた。その時に、あぁ自分がたとえどんな状態に
なっても親は絶対見捨てないでいてくれるなと実感できたんです。

それまでは家族の存在も、まるで空気のように当たり前に感じて
いたのですが、いてくれることのありがたさというのが初めて身
に染みて感じられました。

そしてこれだけ応援してくれたり、励まして支えてくれる人がい
るんだから、自分も何かをやらないと、とそれまで後ろ向きだっ
た気持ちが、少しずつプラスに変化していきました。
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後の対談記事に「見えなくなったことにも必ず意味があったな、
と思うんです」とあります。現実を受け入れられた強い言葉です。
不平不満を言わず、現実に感謝して生きていかなければと思う記
事でした。

 

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