失ってから気づく人は子供。失う前に気づく人が大人(121204)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

気づく人と気づかない人の違い。外尾悦郎(サグラダ・ファミリ
ア主任彫刻家)『致知』2012年12月号特集「大人の幸福論」
より。

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【記者:外尾さんのこれまでの原動力となってきたものは何です
か】

私が外国の地で仕事をするには、労働許可を得るのにも大変な労
力が要るんですね。毎年、長い行例に並んで書類を山のように集
め、それをまとめたり、提出しに行ったり。

何日もの日数が無駄になるようなことをしながらも、同時に他の
人に打ち勝つ作品をつくっていかなければならない。

でも私は条件が厳しければ厳しいほど逆にいい仕事ができると思
っているんです。

周りのスタッフにあれこれ注文をつけ、それを叶えてもらうより、
限られたスペースの中、道具も時間もこれだけしかないという条
件でやったほうがいい仕事ができる。
完璧な条件はこちらに仕事をさせてくれません。

仕事をしていく上では「やろう」という気持ちが何よりも大切で、
完璧に条件が揃っていたら逆にやる気が失せる。たやすくできる
んじゃないか、という甘えが出てしまうからです。

果物の木でも、枝の分かれた所に石を置いてやる。そうすると木
が苦しむんですが、それによって枝が横に伸びて表面積が広がり、
果実も多くなる。大事に大事に育てた木には実があまりなりませ
ん。

私は皆さんからよく「外尾はなぜそんなことに気づくんだ?」と
聞かれるんですが、ガウディには皆が同じように接しているはず
なのに、外尾は電車を待っている時や掃除をしている最中でも、
ガウディのことと絡めていろいろなことに気がつく。その理由を
知りたい、と。

これは私だけでなくどんな人もそうだと思うのですが、苦悩する
人はもう、気づかざるを得ないんですよ。同じ状況にいても、苦
悩しない人は何も気づかない。気づく必要がないからです。本当
に何かを知っていくためには、苦悩を重ねる必要がある。

人はなぜ自分の命を懸けてまで山に登るのか。自分にできるかで
きないか分からないことに対する挑戦、自らを奮い立たせる勇気、
そして苦しみ。息も絶え絶えになりながら山を登り切り、自分の
限界を超えて頂上に達した時の喜び。その喜びがあるから山に登
るのだと思う。

そうした苦悩の上に立って、当たり前のことを心から幸せに思え
る人は幸せだと思うんです。

当たり前のことを単に当たり前だと言って済ませている人は、ま
だ子供で未熟です。それを今回の震災が教えてくれました。

本当に大切なものは、失った時にしか気づかない。それを失う前
に気づくのが大人だろうと思うんです。
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「やろう」という気持ち。「やってやろうじゃないか」という気
概。この気持ちが自分を周りの人を動かしていくのだと思います。
気づいたふりではなく動いていきましょう。

 

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