今日は父の日 (130616)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今日は父の日。『致知』2004年11月号「致知随想」で紹介
された井坂晃氏(ケミコート名誉会長)のお話です。

僕の父もまだ健在ですが、親が生きているうちに親孝行を・・・
と誰もが思うものです。

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この夏の七月二十九日、弔問のため九十九里に赴いた。弔問客は
四十人くらいであったが、私にとってこの葬式は、抑えがたい悲
しみと感動が相俟って心に強く焼き付いた。

故人は、当社社長・中川の義弟・菊崎氏である。中川の説明によ
ると、故人は四十九歳。妻(中川の妹)、高校三年の息子、そし
て中学二年の娘を残して逝ってしまったのである。

故人は二十五日日曜日の昼過ぎに、不運にも誰もいない自宅で倒
れてしまったという。奥さんはその日たまたま仕事に出ていた。
成東高校の三年生で、サッカー部のキャプテンを務める長男は、
練習のためやはり出ていた。

片貝中学二年の長女も、所属するバスケットボール部の活動で出
かけていて、家族全員留守の間の出来事であった。

私が中川からその知らせを受けたのは、翌二十六日の朝であった。
午後には、通夜は二十七日の夜、葬儀は二十八日と決まったよう
だ。ところが、夕刻過ぎに再び中川から電話が入った。

「実は、誰もいない所で死んだ場合は、司法解剖をしなければな
らないそうです。ですから、まだ葬式の日程を決められませんの
で、決まり次第また連絡いたします」
とのことだった。

司法解剖の結果、死因は心不全と分かった。日程を改め、通夜は
二十八日午後七時、葬儀は二十九日午前十一時から行われること
になった。

その間、中川から菊崎氏の横顔を少し聞かされていた。北海道出
身で、高校時代は野球部に所属し、優秀な選手であったこと。

高校卒業後は野球ではなく、料理の修業のためにドイツへ三年間
留学したこと。お酒が好きだったこと・・・。

それにしても、四十九歳という若さで亡くなった。本人の無念を
思うと、心が痛む。

<中略>

葬式は十一時ちょうどに始まった。しばらくして全員の焼香が終
わると、進行係の人がマイクでボソリと「弔辞」とつぶやいた。

名前は呼ばれなかったが、前列の中央に座っていた高校生らしい
男の子が立った。すぐに故人の長男であることが分かった。

私には、彼の後ろ姿しか見えないが、手櫛でかき上げたような黒
い髪はばさついている。高校の制服らしき白い半袖シャツと黒い
学生ズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。

彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

「きのう・・・」。

言いかけて声を詰まらせ、気を取り直してポツリと語り始めた。
「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。

少し間をおいて、「もちろん勝ったよ」。

二十八日が葬式であったら、彼は試合には出られなかった。 司
法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。

悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、「も
ちろん勝ったよ」の言葉の中に込められていたように思えた。

「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、犬と散歩してい
る姿も見られないんだね」

後ろ姿は毅然としていた。淋しさや悲しみをそのまま父に語りか
けている。

「もうおいしい料理を作ってくれることも、俺のベッドで眠り込
んでいることも、もうないんだね・・・」

あたかもそこにいる人に話すように、

「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」

その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。ノックで五本捕れたら五百
円とか、十本捕れたら千円とか言っていたね。二十歳になったら
『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、まだ三年半もある。ク
ソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

涙声になりながらも、ひと言、ひと言、ハッキリと父に語りかけ
ていた。

「本当におつかれさま、ありがとう。俺がそっちに行くまで待っ
ててね。さようなら」

息子の弔辞は終わった。

父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。
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父親への思いを深める一日にしましょう。


 

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