今日も人生の一日を生き切る(130811)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

頭で考えると答え(正解)を求めたくなります。しかし、心で感
じると行動したくなります。この違いわかりますか。感じてこそ
人生です。

「人生のメンバー外になるな」森 士(もり・おさむ=浦和学院
高等学校硬式野球部監督)『致知』2013年9月号より
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二〇一三年四月三日、春の甲子園で我われ浦和学院高等学校は初
めて頂点に立った。苦節二十二年――。振り返るといろいろなこ
とが頭の中を駆け巡る。

その都度目の前に敵が現れ、思うようにいかないことの連続であ
ったが、生徒や家族、守るべき存在がいたからこそ頑張ってこら
れたのだろう。

今回優勝できた一番の要因は私自身の意識にあると思う。まだま
だ未熟だが、やはりトップに立っている人間の器を広げないと組
織は伸びていかない。

教育とは自分自身を磨くことだと日々実感している。

甲子園優勝は夢のような瞬間だった。しかし、それ以上に私が誇
っていることは、この二十二年間、春夏秋とある埼玉県大会で決
勝戦に行っていない年が一度もないということだ。

毎年生徒が入れ替わる高校野球では、時としていい選手が集まら
ないこともある。だからといって、「今年は諦めて来年勝てばい
い」というチームづくりは一切してこなかった。

集まってくれた生徒が常に主人公であり、とにかくいま目の前の
代に懸ける。その積み重ねが成果に繋がったのではないだろうか。

私が今日あるのは上尾高校時代の恩師・野本喜一郎監督がいてく
ださったからに他ならない。

大学時代、私は怪我に泣かされ、このまま選手として続けるか、
指導の道に進むか悩んでいた。

野本監督は上尾高校から浦和学院高校に移られていたが、そんな
時、野本監督から「もし指導者を志すなら、手伝わないか」と声
を掛けていただいた。

ところが、である。

大学四年の時、野本監督はすい臓がんで亡くなってしまった。そ
の年、浦和学院は初の甲子園出場を果たし、ベスト4まで勝ち進
んだのだが、秋の大会では一回戦負け。選手たちは恩師を亡くし
た悲しみに打ちひしがれていたようだった。

そんな彼らの姿を見た時に、学校さえ違うものの、同じ師のもと
に集った一人の人間として、残された後輩たちに何か手助けがで
きないだろうかと思い、師の亡き後の浦和学院高校を守り立てよ
うと決めた。

五年間のコーチ指導を経て、監督に就任したのは一九九一年、二
十七歳の時。

以来、負けたら終わりという勝負の世界にずっと身を置いてきた。

その中で何が勝敗を分けるのかと考えると、それは瞬間的集中力
の継続、に尽きるのではないかと思う。

私はよく生徒たちに

「野球とは人生一生のドラマを二時間に凝縮したもの」

と言っている。

その時その時の決断が後の人生を大きく左右するように、野球の
試合も一瞬のパフォーマンス次第で状況は目まぐるしく変化して
いく。
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一日一日の仕事もその人の人生を凝縮したものかもしれません。
今日も人生の一日を生き切っていきましょう。


 

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