誇る謙虚さをもつ (140228)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理です。
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朝、早く起きた。すがすがしい気持ちだ。外の掃除をする。勉強
をしに行ってくる。偉くなったような気分だ。ところが帰ってく
ると、陽はもう高くなっているのに、家の者はまだ眠りこけてい
る。〈なあーんだ。まだ眠っている。馬鹿な・・自分はこんな善
いことをしてきたのに…〉

こうした気持ちが肚の中に湧く。眠りこけている連中が、いかに
も愚劣な者のように思えてくる。自分は善いことをしたのだとい
う快感がひとしきり強くなる。

早く起きて勉強したのは、たしかによいことであった。断じて悪
事ではない。しかし問題はその後に生じたのである。

それは寝ている者と比較して、自分を偉く見た点だ。眠っている
者を見下し、軽蔑する気持ちが湧いただけ、それだけ自分が偉く
なっている。そこが悪いのである。

重いものを持って、困っている老人が目についた。どうしようか
とちょっと考えたが、手伝ってやることに決め、駅までその荷物
をもってあげた。「ありがとうございます」とていねいに頭を下
げられ、すっかり嬉しくなってしまった。

「今日はよいことをしたぞ。年寄りを助けてやったんだ。どうだ、
どうだ・・」謙虚さの全くない、このような愚劣な振舞など自分
ならぜったいにしないと思っているかもしれない。しかし、助け
てやって善いことをしたと、口には出さなくても心の中で得々と
していることがあるのではなかろうか。形には表わさなくても心
に思っておれば同じことだ。

寄附をしても自分の名前が出ていないと不愉快に思ったりするこ
とがありはしないか。その底に他人に誇る気持ちがあるのではな
いか。善いことをしても誉められないと、おもしろくないことが
ありはしないか。その心の奥に自分の善を他人に誇りたい気持ち
があるのではなかろうか。

一般に誇りをもつことは、それ自体は悪いことではない。しかし
誇りは自惚れと紙一重である。自分が善いことをして誇り、正し
いといっては他を責め、人の意見を包容できず、受けつけないで
いると、それだけでせまい固い殻の中にとじこもってしまう。

〈自分は善いことひとつろくにできない。これではだめだ、なん
とかして・・〉と思っているほうがむしろ尊い。小さな善をコツ
コツと積み上げていって、天までのぼるようなことを夢みている
よりも、何ひとつできないこの自分の額を低く大地にすりつけて
いるほうが輝かしいのだ。

まわりからも感謝され、真の生き甲斐を見出すみちは、〝たとえ
いくら善を積んだとしても、ほんとうは何ひとつできてはいない。
自分はまことに至らない者なのだ。至らないが、何かさせていた
だかなくては…〟と低きに居ることだ。その低いことをまた誇り
に思うこともなく、ただただそう思っている。その心が尊いので
ある。
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「誇る」と「自惚れ」は天地の差があります。誇る謙虚さを持っ
ていきたいものです。謙虚にいきましょう。


 

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