嫌な事は太陽の下で考える(140319)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

「人生を好転させる魔法の言葉」岸朝子(食生活ジャーナリスト)
『致知』2014年4月号連載「生涯現役」より

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大変だったのは戦後です。戦争が終わると同時に職業軍人だった
夫は職を失い、父の勧めもあって千葉に移り住んで牡蠣の養殖に
携わりました。

――お父様と同じ道を歩まれようとしたと。

でも数年間努力したのですが、どうしても事業を軌道に乗せるこ
とができませんでした。夫は養殖業に見切りをつけると同時に、
今度は東京に新しい働き口を見つけて再び引っ越しです。

暮らし向きはかなり厳しくて、私も何かしなければと考えていた
ところ、たまたま主婦の友社の募集広告を妹が見つけてくれたん
ですよ。

「料理の好きな家庭婦人を求む」とあって、子供がいてもいいと
いう条件だったので、これならと思って試験を受けに行きました。

もっともおなかの中にいた5番目の子供がかなり大きくなってい
たので、いくらなんでも難しいかなと思っていましたけど(笑)。

――どのくらいの応募があったのでしょうか?

300人くらいだったと思います。試験は書類審査、筆記試験と
身体検査、そして実地試験があってどんどん振り落とされていき
ました。

最終的には7名が残って、そのうちの1人が私だったんです。嬉
しかったですね。

4月に入社してからすぐに出産だったので、初出勤はその年の8
月1日。思い返せば、この日が50年以上続く料理記者としての
第一歩となりました。

――記者としての力量はどのように磨かれたのでしょうか。

素人でしたから最初は苦労しました。会社の決まり事として社員
全員に日記を書かせていて、これが大いに役に立ったんです。

退社時に提出すると翌日朱筆で校正が返ってくるのですが、特に
最初の頃は句読点の打ち方から行がえ、表現法などの指摘でペー
ジが真っ赤になっていました(笑)。その繰り返しの中で基本を
覚えていきました。

時代は高度成長期にさしかかる頃で、家庭で手の込んだ料理をつ
くろうとする主婦や、花嫁修業で料理学校も大盛況だったため、
カラーの料理本なども本当によく売れました。

だから仕事も次から次へと本当に忙しくて、料理学校で撮影の仕
事がある日なんか、授業が終わってから始めるものだからほぼ徹
夜でしたね。それが何日か続くともうふらふらで。

――日々体当たりで仕事に臨まれていたと。

体重がガタッと落ちるくらい大変だったけど、この時期に料理記
事の何たるかを学ぶことができましたし、一流の先生方や優れた
調理人との交流によって料理記者として育ててもらうことができ
ました。

(中略)

――そうやって長年第一線で活躍し続けてこられたのですね。

そうね、ずっと休むことなく料理記者として働いてきたわけだけ
ど、楽しいことばかりじゃなくて、辛いことも数多くありました。

そんな時いつも私を励ましてくれたのが、「嫌なことは夜、布団
の中で考えないこと。太陽の下で考えれば何事も明るくなる」と
いう綾先生の言葉でした。

歯を食いしばって一所懸命頑張ってきたから、いろいろな人に会
うことができたし、仕事のやりがいにも気づくことができたのだ
と思います。
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「嫌な事は太陽の下で考える」いい言葉ですね。太陽のエネルギ
ー人も元気にしてくれます。朝起きて3時間以内に太陽エネルギ
ーを受けると元気になるようです。今日も元気に働きましょう。


 

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