宿命を運命に変える努力(140419)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

「人間、誰もが心の中に1匹くらいは鬼がいるものです。その鬼
が 暴れたり、嫉んだりしてしまうのが人間」

こう語るのは、下関市在住の鬼画作家・しの武さん。愛嬌溢れる
鬼の絵とそこに添えられている珠玉の言葉が織り成す鬼画カレン
ダーはいま全国各地で反響を呼んでいます。

そんなしの武さんは生後すぐに母親が姿をくらませ、ヤクザの父
親は刑務所に収監。さらには14歳で家出、16歳で出産・・・。
その人生はまさに波瀾万丈でした。

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「鬼が笑った日」しの武(鬼画作家)『致知』2014年5月号
連載「致知随想」より

手渡された母子手帳を持つ手が、緊張で小刻みに震えていました。
邪魔だから捨てられたのだと思い続けてきた私にとっては、顔も
見たことのない母親とまるで初めて会うような感覚で、何だか怖
くて仕方がありませんでした。

震える手で表紙を撫でると、それだけで目から涙がポロポロ落ち
てきます。私は意を決すると、そっと母子手帳を開きました――。

私が幼少期を過ごしたのは、父方の実家がある山口県防府市南部
の瀬戸内海に浮かぶ向島でした。2歳の姉と生まれたばかりの私
を祖父母に委ねると、母はそのまま姿をくらませてしまったので
す。

母親に代わって愛情を注いで育ててくれた祖母を4歳の夏に突然
の病気で失うと、今度は当時ヤクザだった父が刑務所に収監され
る事態に。

祖父は親戚との話し合いの末、私たち姉妹を児童養護施設に預け
るという苦渋の決断を下しました。

それまで味わったことのない規律ある集団生活を姉は嫌っていま
したが、私は守られているという安心感に包まれながらスクスク
と育っていきます。

父が私たち姉妹を施設に迎えに来てくれたのは、私が小学校5年
生の春のことでした。

再び父と暮らせる嬉しさに胸を膨らませる半面、一緒に暮らす継
母と連れ子2人、合わせて6人での新生活はぎくしゃくとした不
自然さがつきまといます。

新しい生活に必死に馴染もうとする私を横目に、まず姉に異変が
起きました。

もともと破天荒な性格だった姉は、施設の生活から解放されると、
それまでの不満を一気に噴出させるかのように非行に走ったので
す。

さらに女遊びを繰り返す父が徐々に家から遠ざかっていくと、継
母のストレスのはけ口は自然と私に向けられていきました。

二度と父とは離れたくない。そんな思いでどんな理不尽にも耐え
てきた私でしたが、ピンと張りつめていた緊張の糸を継母が切り
裂きました。

それは消したくても消すことのできない、深く心に刻まれた言葉
でした。

「知っちょった?あんた本当はいらん子じゃったらしいよ」

込み上げてくる怒りに似た感情を、誰にぶつければいいのか私に
は分かりませんでした。時とともにそれまで抱いたことのない憎
しみ、嘆きや怒りなどの感情がとめどなく湧き上がってきます。

勢いよく広げた大学ノートはどす黒い感情の塊で埋め尽くされて
いきました。もう、どうでもいい・・・。

なぜ自分は生きているのか、生まれてくる必要があったのか、と
子供ながらに真剣に考えたのはこの時が初めてでした。そして二
度と家に戻らないと胸に誓って家を出たのは14歳のこと。

当てもなく彷徨う私を助けてくれたのは、当時島根県にある彼の
実家に身を寄せていた姉と、その彼の母親でした。

いつか幸せな家庭を築きたいと願うようになったのは、こうした
境遇に身を置いていたからでしょう。

それは中学卒業直後の結婚、そして出産というかたちで早々と訪
れましたが、残念ながらうまくはいきませんでした。

16歳の母親に対する周囲の厳しい目、バブル経済に踊らされた
夫の目に余る行状、そして孤独な子育てが私を追い詰めていった
のです。

もしこの時、献身的に支えてくれたある女性の存在がなかったら、
いまの私はきっといなかったでしょう。

後に子供2人を抱えた私を受け入れてくれた現在の夫が現れたこ
とで、30代にして私はようやく自分の居場所を得ることができ
たのです。
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数奇な人生という言葉がありますが、持って産まれた宿命。それ
を自分の運命として受け入れ生きていくか。人間学を学びながら
自分自身を調えていきたいと思います。

今日から2日間、福岡で人間学を学んできます。よい休日を過ご
しましょう。


 

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