仕事観の確立 (140704)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理は、仕事観に関する内容です。
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働き過ぎは罪悪だ、などといって仕事にいそしんでいるを軽蔑す
るかのような風潮が出はじめている。あぶない、あぶない。ごま
かされてはいけない。働きすぎの「すぎ」をうっかり見のがして、
「働くことは罪悪だ」といった見方におち入りかかっているので
はなかろうか。

こうなると「なまけることはよいことだ」から「遊ぶことこそ美
徳である」というようになりかねまい。

働きとは人生にとってたいした意味のないものであるとか、休ん
だり、遊んだりすることが本当であり、働くことは生きるために
止むをえないものであり、いやいやながら、あるいは苦しみなが
らする労働であるとか、そのように考えるならば、これらはたい
へんなまちがいだ。

働きは純粋な意味では、むしろ楽しいものだ。うれしく喜ばしい
ものなのである。

仕事を与えられず、働かずにじっとしていることほど苦しいもの
はない。病気になり、働けなくなった時、そのことがよくわかる。

〈ああ、うれしい、今日も働ける。ああ、よかった、今日も働け
る〉そして働いているときが、また楽しい。これが本来であり、
そして純粋なのである。

この喜びの働きに濁りが入ったとき、労働となる。性にあわぬと
か、無理強いをさせられるとか、他に心配ごとがあったり、不平
不満が重なっているとか、というように、いやいやながら、苦し
みつつ働くのが労働である。

本来の働き、純粋な働きなども含めすべて働きを労働と称してい
るのは、誤りなのである。労働省などというのも誤りで、むしろ
喜働省とでも変更すべきであり、労働者などは喜働者と変えなけ
ればならぬ。

働きに対して休みと称しているのも、じつはひとつの働きにほか
ならない。

家にあって家事の助けをするなり、日曜大工をするなりリクリエ
ーションその他にしてもしっかり計画をたて、ちゃんと行動する
なり、精神的な糧をうるとか、勉強するとか、そうした一種の働
きをするのでないと、かえって身体を害し、そのときの働きにた
いして大きなマイナスとなる。

休みでも大いにはたらくのでないと、頭はボケ、身体はなまって
しまう。これは生理学の教えるとおりだ。頭もつかえばつかうほ
どよくなる。大脳の新しい皮質は、そのようにできている。

心臓外科の先覚者であるアメリカのドベーギー博士は、毎日の働
きが他人の役にたっていると思うとき、心の平安が得られ、とく
べつな休暇旅行を計画して日常生活から脱出しようなどと悪あが
きをする必要は起こらない、といっている。博士自身の仕事がと
ても嬉しく楽しいので、逃げ出したいなどと考えたこともないそ
うだ。

私たちは博士ほどの境地まで行きつけないとしても、仕事をたい
せつにして、精一杯うち込んで働き、休みのときにも適当な活動
をして、この限りある人生を有意義に過ごしたいものだ。それが
最大の幸福なのである。
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日本人は日本人の仕事観をしっかりもたなければなりません。仕
事観は、学校では中々教えてくれません。働きとは「傍を楽にす
る」人々へのお役立ちです。このことを根底にしっかり持つこと
が大事です。

今日も喜んで進んで働きましょう。


 

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