苦境をあるがままに受け入れる (150411)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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私たちの人生は、時に苦しいこと、辛い出来事に見舞われます。
そのような状況に遭遇したとき、苦境をどのように受け止めるか
が解決への糸口となります。

後に「足なし禅師」と呼ばれた小沢道雄師の生い立ちは過酷なも
のでした。師は戦後、厳冬のシベリアに抑留されました。昭和二
十一年十一月、シベリアから満州へと輸送されます。多くの凍死
者が出る中、運よく命は助かったものの、凍傷により、二十五歳
で両足を切断。

その後、帰国の途につきますが、〈不具な自分は、周囲の同情と
憐れみ蔑みの目を受けたまま、これからの人生を生きてゆかねば
ならないのだろうか。そんな人生に何の喜びがあるのだろうか〉
と自暴自棄に陥り、生きる希望を失ってしまいました。次第に、
肉親や親戚との面会も避けるようになっていったのです。

師は藁(わら)をもつかむ思いで、観世音菩薩の姿を心に描き、
「どうか私に生きる力をお与えください」と、救いを求め続けま
した。師、二十七歳の時でした。

そのような生活が数カ月続いたある朝、師の心の奥底から、ひら
めきのような思いが湧き上がってきたのです。

「苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは二十七年
前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたことをやめに
して、今日生まれたことにするのだ。両足切断したまま今日生ま
れたのだ。今日生まれたものには一切がまっさらなのだ」

師はここに、「本日ただいま誕生」との境地に至り、不幸という
現実を冷静に受けとめることができたのです。やがて、日々の生
活態度として、次のように肚(はら)を決めました。

一、微笑を絶やさない。
一、人の話を素直に聞こう。
一、親切にしよう。
一、絶対、怒らない。

その後、師は生涯をかけて、義肢で各地を托鉢行脚しました。師
にとっての托鉢とは、街頭を歩き回るだけを意味するものではあ
りませんでした。空気も水も光も、天地の恵みをありがたく頂戴
することであり、自分を育ててくれる一切をありがたく頂戴する、
すなわち、生きることの全てが托鉢なのだと著書で語っています。

両足を切断するという不幸に見舞われながらも、師が人生を明る
く爽やかに生き抜くことができたのは、「本日ただいま誕生」と、
今ある状態をそのままに受け入れる心境に達したからにほかなり
ません。ここに、私たちが人生における様々な苦境に直面した時
の、心の持ちようのヒントが隠されてはいないでしょうか。

なぜ苦しいのか。それは過去と今を比べたり、人と自分を比べる
からではないか。まっさらに、ただ「これがよいのだ」と受け入
れるという心境になれた時、そこから物事を解決する糸口が見つ
かるはずです。

師の生き方に学び、幸福になる人生の法則を掴みませんか。
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自分と他人を比べない。ここに人生における幸福の道があるよう
に思います。

今日も、あるがままを受け入れ、良い休日を過ごしていきましょ
う。


 

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