対者我影を意識する (150606)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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Y氏はある店の社長だが、几帳面な性格で、店員のだらしのない
のが、はなはだ気にくわない。中でも、洗面所の水道栓のひねり
が不十分で、使ったあとで、いつもたらたらと水が漏れているの
が、不愉快でならない。

いつも店員に注意するのだが、どうしても励行されない。やかま
しく叱ると二、三日は洩らさないが、やがてまたたらたら流すよ
うになる。

Y氏はいまいましくてならなかったが、ついにある時、ほん然と
して悟った。自分のこのやり方は、まちがいだ。今までは店員た
ちをやかましく叱ってばかりいたが、今後はまず自分から進んで
喜んで洩れている水道栓をしめるようにしよう。

彼はこれを実行した。目下に対して不平を捨て、洩れているとこ
ろを見ると、にこにこした気持ちで、行って固くしめ直してやる。
けしからん、などといった気持ちは少しも起こさない。母親が子
どもの不始末を喜んでぬぐってやるような、そうした心にも似て、
心から温かくやり続けた。

何日かたってふと気がついてみると、いつのまにか水を流し放し
にする者が、非常に少なくなっているではないか。今日は流れて
いないな、と洗面所に行って気づくことが多くなり、Y氏は狐に
つままれたような気持ちだった。驚くべき変化だった。一体どう
したのであろうか。

目上が目下に対してもつべきものは、愛である。愛は抱く、温め
る、そして万物を産み育てる。この愛がまた慈ともなり、目下に
対して第一にもつべきものであるとは一応誰しも知ってはいる。
しかし現実には、いかにするのが愛であり、慈であるか、案外分
かっていない。

実践は簡単なところから始まる。言うことをきかない目下を責め
ないこと。憎まないこと。不平不満をこちらが抱きながら、欠点
を変えさせよう、改めさせようとしないことである。Y氏のごと
く目下のだらしなさを、喜んで始末してやることである。そうし
た心になった時、事情は好転してくる。

社長が喜んで水道栓をしめているのを見て、社員は心打たれる。
目下の非は己が非の映れるなりととる心こそ、愛の表われである。

この愛の真心を知った時、人は自ずからにして変わらざるを得な
い。感動はここに発する。感激はここより湧く。さらに目上のこ
うした行動を見たり、聞いたりしなくても、真心は、自然に目下
に伝わるのである。

目下の人の行いは、目上の心意の反映である。すなわち対者我
影(たいしゃがえい)である。社長―社員、店主―店員といったよ
うな、上にある人と下にある人とは、お互いにそれぞれ反映し合
っている。

こちらが憎いと思えば、下もそうなる。一方が怒れば、他方も腹
立ち、互いに複雑微妙に、また単純無雑(むざつ)に相映(あい
えい)じている。上下の関係が緊密になればなるほど、その反射
はますます緊密となってくる。これを知らずに下の人だけ責める
のは、もっての他である。

この意味において、目下の人は目上のよき先生である。願っても
なき良師である。心から慎んで教えを乞わなければならない。
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今日も、対者我影を意識して、取組んでいきましょう。


 

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