形が先か、心が先か (150905)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

さわやかに晴れ渡った日曜の午後、Sさんは、のんびりと昼寝を
たのしんでいた。ふいにガチャンという音がしたので目をさまし、
玄関に出てみると、ガラスが一枚割られている。向かいの店員が
「今行った自動車ですよ」と教えてくれた。道路の小石をはねと
ばしたのだ。

ふいに目の前にスーッと影がさして、一台の車が停まった。二十
二、三歳くらいの運転手が降りてきて、ていねいに頭を下げ、ガ
ラスを割ったことを詫び、運転席から一枚のガラスと、ガラス切
りを持ち出した。そして戸の大きさをはかると、器用な手つきで
端を切り、手早くガラス戸にはめてしまった。

「実は、さきほどガラスを割ったとき、ハッとして車を停めたの
です。そして一言お詫びをしようと思ったのですが、その時送っ
ていたお客さんの乗る列車の時間がギリギリだったものですから、
そのまま車を飛ばしてしまったのです」

その言葉に少しも嘘がないことがよくわかり、感激さえ覚えたの
だった。「わざわざどうもありがとう」と礼をいうと、運転手は、
思い出したように、「ガラスを割った石が落ちていなかったでし
ょうか、あったら頂きたいのです」といった。

その小石を差し出すと、大事そうにハンカチに包んで、運転手は
ちょっとはにかみながら、「私は幼いときに父に別れ、昨年たっ
た一人の母もなくしました。その母は『正しく生きよ、どんな小
さなことでも、良心に恥じることはするな、母は死んでも、母の
魂はいつもお前のそばを離れない』といって息をひきとったので
す」と話し、「この小石は、私の良心のマスコットにして大事に
します」といって出ていった。

まごころは尊い。その心はおのずから、身体のどこかに現われる。
「これは自分のしたことだ、すまなかった」という心がほんとう
にあれば、おのずから詫びにいき、弁償をするという形に現われ
る。

ところが、形から入ってほんものになる場合も実に多いのである。
たとえば姿勢である。姿勢をまっすぐに正しく保っておれば、心
もまっすぐ正しくなる。

挨拶なども形から正しく、きちんと、ていねいにするように努め
ていると、やがて心もそのようになってくる。

「小さなことでも、良心に恥ずるようなことはしないで」という
母のさとし。これを完全に実行することはむずかしいかもしれな
い。だからといって、ぐずぐずと迷うべきではなかろう。いつも
母の教えに従いたいと思ったとき、少々恥ずかしくとも、「ガラ
スを割った小石を下さいませんか」と頼んでみる。そのような行
為に思いきって出たとき、いよいよ心はすっきりしてその小石が
「良心のマスコット」になる。

心がもう一つはっきりしないという場合、一歩進んで形に現わす
ようにすると、ぐっと心がひきしまる。坐禅とかみそぎその他の
行というようなものは、このようにして心を一段とひきしめるこ
とを、まず形から入っていこうとするのである。

愛情はあるけれども、何もしなくてよいのだとか、念願はしてい
るけれども、形に現わす必要はないのだとか、そうした一方的な
ことは原則的にはまちがいである。(『つねに活路あり』より)
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武道では、全て形から入ります。何度も何度も練習し鍛えられる
と自然と心が整っていきます。

大相撲の関取も、まずは形からです。形が整い強くなっていくと
それなりの番付での風格が出てきます。形に心がついていってる
状態です。

よく役が人を成長させると言います。役職で人間性が鍛えられ、
役に応じた心になっていくのです。

今日も、形から入り、心を調えていきましょう。


 

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