健康の有り難さに気づく (160206)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
———————————————————-
病気や怪我は何のためにあるのか。それはまず、体の恩を知るた
めである。体が、こうして、ここにあるとは、すばらしいことだ
と知るためである。

健康な時には、体のありがたさ、すばらしさが、なかなか分から
ない。視力のよい人には、目玉のありがたさ、すばらしさが分か
らないのだ。腰のよい人には、腰のありがたさ、すばらしさが、
なかなか分からないのである。

私たちは実のところ「恩知らず集団」といってよいくらいなのだ。
なぜか。あなたの顔から目の玉をくりぬいたらどうなるか。すべ
ては暗黒。歩けば、ぶつかる。手さぐりで、トイレも大変。もち
ろん食事もろくにとれない。野菜の緑、トマトの赤も見えない。

「目玉さんよ、靴はどこか、映しておくれよ」と頼んだことがあ
るだろうか。そのような頼みごとなど、一切しないにもかかわら
ず、目はまわりのものを克明に映し出してくれている。シャッタ
ーもおさず、調節もしない。フィルムも入れない。それでいてカ
メラ以上にパッチリとまわりのものを映してくれるのが、あなた
の目玉なのである。

実は、私はずっと目がよくて、永いこと視力も一・二はあった。
目のよいのが、ひそかな自慢であった。もちろん、そのころは目
のありがたさ、おかげというようなことは考えたこともなかった。
遠くのものがよく見えるのも当然であり、それが幸福なのだとい
う自覚さえなかった。

ところが、どうか。だんだん視力がおとろえ、七十二歳をすぎて、
医者から手術をした方がよいと忠告され、生まれてはじめて手術
なるものを経験し、前よりよく見えるようになって、まったくお
どろいた。医術の進歩はもとよりだが、日常生活では、いかに目
が重要であり、いかにありがたいものであるかを、まざまざと実
感することができたのである。「目玉の恩」をわずかとはいえ、
痛感することができたのである。

いうまでもなく、これは目玉だけのことではない。体のどの部分
についても同じである。なんとまあ、驚くべき私たちの肉体であ
ることか。

専門家がくわしく調べれば調べるほど、私たちの体は霊妙偉大に
できているのである。それで病気になったり、怪我をしてようや
く健康のありがたさに気づくのであるが、それも不十分なことが
多いようだ。

痛い! 苦しい! 不自由だ!早く治して! なんとかして!医
者は何をしている! 助けて!

それだけに終わっているのではないか。病気になったり、怪我を
したりしたときは、「ああ、いやだ」と思う反面、すぐに健康の
恩を思い、生活のたて直し、気持ちの持ち直しを計ることが先決
だ。

「痛くてそんなことを思う余裕があるか」と言ってしまえば、そ
れっきり。その病や怪我にふさわしい、心の、魂の改め方がある
と、死んでも銘肝して、素直に向上を目ざして応ずることである。

病気は生活の警告である。警報器である。具体的に何を知らせて
いるのかと、わが心に問う。分からねば先輩、友人に聞く。この
素直な向上の心が同時に恩を知る心である。
(『丸山竹秋選集』より)
———————————————————-

今日も、健康の有り難さに気づきましょう。


 

ページの先頭へページの先頭へ
株式会社ドゥアイネット
は、iOS/AndroidのARアプリ開発とWebシステム開発を中心としたIT関連サービスを提供しているシステム開発会社です。