「ナレ」と「アキ」 (160325)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

「ナレ」と「アキ」。今週の倫理より
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タイトルを見て、「新しい連続ドラマ?」と思う方がいるかもし
れません。「慣れ」と「飽き」をカタカナで表記したものですが、
通常、漢字で書かれる字が、見慣れないカタカナになると、途端
にイメージしにくくなるものです。

何かに「慣れ」るという状態は、心の平静さを保てる反面、心に
隙を生じさせることもあります。仕事や人間関係でも、時の経過
と共に慣れが生じ、それは時に緊張感を喪失させ、失敗の遠因に
もなりかねません。

倫理法人会で学ぶA氏は、入会して二十年になります。「モーニ
ングセミナー(MS)で『万人幸福の栞』を読むたびに、今でも
毎回新たな発見がある」と語ります。

一方、B氏は入会して一年です。当初は所属単会のみならず、他
会のMSにも積極的に出席していました。しかし、次第に講師の
話も耳にしたものが多いと感じるようになり、新鮮味がなくなっ
たといいます。退会も考え始めました。同じように学びながら、
A氏とB氏の差はどこにあるのでしょう。

慣れが進むと、「飽き」の状態に陥ることもあります。飽きは目
の前にある学びのチャンスを、自ら逃してしまう心です。そうし
た意味で、慣れが黄信号だとすれば、飽きは心に灯った赤信号だ
といえるでしょう。物事にすぐ飽きてしまう人は、どこに行って
も成長の芽を自ら摘み取っているようなものです。

前述のA氏にも、かつてB氏と同様の時期がありました。その時、
先輩からこう問われたそうです。

「セミナーで聞いたことをどれだけやってみた?」

A氏は返す言葉がありませんでした。「あの問いのお陰で今があ
る。〈どれだけやっているか〉と自分に問い続けている」と語り
ます。

儒教の祖である孔子は、弟子にこう諭しました。「これを知るを
これを知ると為(な)し、知らざるを知らずと為せ。是(こ)れ
知るなり」と。すなわち、「知らないことを知らないとする。そ
れが知るということだ」というほどの意味になるでしょう。

孔子の教えにならえば、世の中には大別して二つのタイプの人が
います。①知らないことを知らないと自覚できる人。②知らない
のに知っていると錯覚する人。①は成功の秘訣を知っている人で
あり、危いのは②の人でしょう。

「知る」とは、知らないことの方が多いのだと、すなおに銘肝す
ることから始まります。そこで初めて「知っているつもり」とい
う錯覚から脱却できます。しかし、それで終わりではありません。

純粋倫理において「知る」とは、実践を伴うものです。実践なき
机上の学びは雑念に過ぎず、それは時に人を責める武器になるこ
とさえあります。②の人が危いのはそのためです。この学びは、
あくまでも自身の学びであり、人に向けるものではありません。

慣れや飽きを感じた時ほど、自己を磨く最良のチャンスです。ま
ずは今の自分をすなおに受け入れ、心新たに行動に移した時、ま
た一歩成長できるのです。
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「慣れ」と「飽き」。何を実践し続けるかです。何事もやめよう
と思ったときはやめてはいけません。成長の瞬間だからです。

今日も実践、明日も実践です。よりよい一日を過ごしていきまし
ょう。


 

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