自分を深める (160702)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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世の中には善人もたくさんいるが、悪人もかなりいる。悪人がい
なかったら、どんなによい世の中だろう。神さまはなぜ悪をつく
ったのか。いったい、いつになったら、この世から悪人はいなく
なるのだろうか。

こうした考えはまちがいである。なぜならこれは、皆美人だった
らよい。おいしいものばかりだったらよい。いつも晴の日ばかり
だったらよい、などと同じだからである。

悪いことをしてもよい、などと決していうのではない。法を犯し
てはならないし、犯せば罰せられるのは当然である。しかしよく
よく考えてみると、悪人があるからこそ、善人があり、悪が存在
すればこそ、善も存在する。ここをもっと掘りこんでみよう。い
ったい悪人は善人にとって何なのか。

賄賂をたくみにやり、税金をごまかし、法網をうまくくぐって私
服をこやしている悪人がいる。この事実に対し、憎悪や軽蔑や公
憤をぶちまける。そして攻撃する。当然のことだ。しかしさらに
深く、また高い立場から見るとどうなるか。こうした悪人は、一
般の人々に対する教師なのだ。贈収賄のよくないこと、税金をご
まかすことの誤り、法網をくぐってはならないことなどをいろい
ろと教えているのである。

一般に泥棒は「泥棒すべからず」と教える大先生である。もとも
とすべてはわが師であるから悪人といえどもわが師であって、自
ら手本となり、このような悪をなすべからずと教え導いてくれる
大恩人なのである。

本当は私たちは刑務所に対して頭をさげるべきなのだ。犯罪者に
対して襟を正して敬礼すべきなのである。

あんな奴、バカヤロウなどと軽蔑したり、憎悪したりするのは、
まさに本末転倒である。このように、いわゆる悪人を軽蔑し憎悪
する時、善人とうぬぼれている人は、たちまち悪人となるのであ
る。

「そのようなことをいっても、実際となると、ああした人たちを
恩人とか、教師とか、まして大先生などとは、とうてい思えない」
という人がある。なるほど、それはたしかにあるだろう。

それだからといって真理や倫理を曲げるわけにもいかない。それ
はあたかも自動車などのスピード制限が、実際にはなかなか守り
にくいからといって、交通規則を曲げるわけにはゆかないのと似
ている。天地がひっくり返っても、真理は変わらないし、倫理は
ゆがめられない。

このように人間存在の実相を高く、深く洞察してゆくと、超越的
な意味では、すべてが善となり、いわゆる善悪とは一般的なもの
にすぎなくなる。演劇、映画などで、悪役がなければおもしろ味
がなくなるように、人生に悪人がいなかったら、善の善たる意義
も成り立ちえないであろうから、その意味では悪人も善人である。
すべてがよしとなる。

繰り返して言うように、いわゆる悪は為すべきではない。ただそ
の認識の仕方が、わが人生を味わい深い豊かなものにするか、あ
るいは砂を噛むような無味乾燥なものにするかの分かれ目となる。
家庭や社会にある善と悪とのさまざまな問題に対し、こうした自
覚を高め、深めてゆこうではないか。 (『丸山竹秋選集』より)
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今日も、少しの時間自分自身深く考えていきましょう。


 

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