非情と温情 史上唯一「サヨナラボーク」の真相 (160729)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

バイクセンター宮本さんより送られてきたメールです。中日スポ
ーツ「KOSHIENN新世紀」より
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98年夏・2回戦 豊田大谷ー宇部商戦。100年目を迎える甲
子園でも、たった1度の幕切れがある。

1998年(平成10)年夏の第80回大会2回戦。

豊田大谷(東愛知)と宇部商(山口)の試合は延長15回、宇部
商のエース・藤田修平のサヨナラボークで決着がついた。球審を
務めた林清一(59)にあの判定と「ルールの番人」の秘話を語
ってもらった。

気温38度、観衆4万9千人。試合開始から3時間52分。炎天
下の激闘に幕を引いたの、選手ではなく球審を務めた林のジャッ
ジだった。

その瞬間、ぼう然と立ちつくしていた藤田だが、ベンチ前に整列
するころには号泣していた。ボーク、満塁、しかもサヨナラ。

歴史に刻まれる判定は、無常と言われようとも「見たまんまで判
断する」。襲いかかる「不安」との闘いもし藤田が足を外してい
れば、ボークではない。

「だんだん不安になりました。(ミスなら)やっちゃった、審判
人生、終わりだな」とも思った。

ほどなくテレビを見た審判仲間や関係者から「間違いなくボーク
だった」の確認が入った。黒子に徹するはずの審判が、最後の最
後で主役になった。試合後の会見では報道陣に取り囲まれ、詰問
された。

「なんであんなところでボークを取るんだ」、「注意で終わらせ
られないのか」。

この場を納めたのは、大会本部でプレーを見ていた幹事審判の三
宅享次だった。

「審判は、ルールの番人です。以上!」と制した。

勝利球は敗戦投手の元へ。だが、林は血の通った番人だった。甲
子園には「ウイニングボールは目立たないように、勝利校の主将
に渡す」という暗黙のルールがある。

が、藤田が返そうとしたボールを、林は受け取らなかった。「持
っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」。

藤田が2年生であることを知っていたからだ。勝った豊田大谷に
はポケットから出した別の試合球を手渡した。

つるべ打ちにあう投手がいる。投球数は増え、何度も三塁、本塁
のカバーリングに走り肩で息をしている。本塁付近にいれば「頑
張れ」とそっと声をかける。

大敗の終盤に背番号「18」の選手が代打で出てくる。明らかに
足が震えていれば、こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて、
汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間を取ってやる。

「甲子園は、誰にとっても一世一代」。少しでもいいプレーをさ
せてやりたい。林は「そういう時のために、通常は無駄な時間を
省いて“貯金”をしておくんです」と笑って教えてくれた。

15年後の2013年夏。100年に1度のジャッジを下した林
と、211球目を投げられなかった藤田が、高校野球イベントで
再会を果たした。

32歳になった藤田は、家庭を持ち、職場での野球を楽しんでく
れていた。

「元気でやっているところを林さんに見せたくて」。山口からか
けつけた藤田の姿と言葉に、林は「感無量」と漏らし、涙を流し
たという。
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人生はドラマです。感動のドラマに遭遇するか、そこで主役にな
れるかは、本人の一所懸命度合いによるものだと思います。

今年の甲子園。多くのドラマが展開されるものと思います。長崎
は長崎商業高校です。がんばってほしいと思います。


 

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