見るは知るの始まり (160817)

親愛なるみなさん、おはようございます。今日もツイてます。

今週の倫理より
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倫理法人会に入会して活力朝礼を導入した、ある会社での話です。
朝礼の意義をはじめ、進め方や所作のポイントを教わり、役割分
担も決まりました。朝礼の研修に参加した社員が、戸惑いながら
も、積極的に準備を進める姿にひと安心した社長ですが、初めて
のことだけに心配なこともありました。

その一つが、『職場の教養』を読んで、感想を述べることです。
〈感想といわれても、自分だって何を話したらいいのかわからな
い。社員たちは大丈夫だろうか〉

案の定、最初の朝礼で感想を述べた社員はしどろもどろでした。
しかし、社長は、〈初めからできる人などいないのだから、温か
く見守ろう〉と心を定め、じっくり取り組むことにしたのです。

一カ月ほど過ぎた頃に、変化の兆しが現われました。感じたこと、
気づいたこと、学んだことを、それぞれが自分なりに話せるよう
になってきたのです。その日の記事のポイントとは違う部分を捉
えたりすることもありましたが、それはそれで面白いものでした。

何より社長が嬉しかったのは、感想を聞くたびに、「そんなユニ
ークな発想ができるのか!」「イメージとは違って意外性のある
趣味を持っていた」「今、こういうことで壁にぶつかっているの
かもしれない」など、これまで気づかなかった社員の一面を発見
できたことです。それまでの社員に対する視線が、いかに狭く浅
いものだったかを痛感させられました。

経営者とは教育者でもあります。社員一人ひとりの能力を引き出
し、育んでいくことが求められます。ですから、まずはその人を
よりよく知っていなければなりません。そして、知るための第一
歩は見ることに他なりません。

対象をじっと見るのである。そのままに、感情を交えず、あるが
ままに、虚心に、平静に。(中略)とにかく見る。たびたび見て
おると、はじめ変だったものが、次第によくなる。嫌だったもの
が好きになってくる。見るは、知るの端(はじまり)である。知る
ことによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。(『作歌
の書』丸山敏雄著より)

朝礼を通じて、これまで気づかなかった社員の一面、すなわち新
たな可能性を発見した社長は、躊躇なく新たな業務を任せられる
ようになりました。

経営者には、こうして人を見る目が求められるのはもちろん、様
々な物事、時には未来を見通す目が求められます。先の文章のよ
うに、見ること、知ることが対象への敬愛をより高め深める、つ
まり、善悪や美醜といった表面的なことを超越した人間や現象の
本質を捉えることにつながる目を養いたいものです。

ガラス玉でも、節穴でもない目を養うのは、純情(すなお)な心
に磨きをかけることです。それには、日常の実践です。気づいた
らすぐする、何事も喜んで受けるなど、これまで行なってきた実
践を今一度見直し、経営者の目を養っていこうではありませんか。
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見るは知るのはじまり。まずは見る事からですね。


 

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